蝉の声が耳に満ち、照り返す石畳が白くまぶしい、真夏の盛り。
日差しは鋭く、風さえぬるく、外に出るだけで肌が汗ばむこの季節。
冷たい飲み物や空調の風に頼りたくなるのは、誰しも同じかもしれません。
けれど、茶の湯の世界には、そんな季節を受け入れながら
静かに涼をしつらえる知恵があります。
それは、派手ではないけれど、心の奥にすっと沁みわたるような、
ひそやかでやさしい涼しさ。
ZENLABの活動のひとつとして設けている茶道教室、**朱雀軒(すざくけん)**では、
そんな感覚を大切にしながら、
日々、季節の所作と心の整え方を学んでいます。
ある盛夏の稽古のこと。
湯気のたつ一碗を手にした生徒さんが、ふとこんなふうに言葉をもらしました。
「暑い日にいただく一服の温かいお茶が、心の奥にそっと涼風を届けてくれる——そんな安らぎがありますね。」
その声に、場にいた誰もが、思わずうなずきました。
たしかに、冷たいものでは届かないところに、
あたたかさがやさしく触れて、そっと心をゆるめてくれる——
そんな感覚を、わたしたちはみな、どこかで知っているのかもしれません。

夏の茶の湯では、点前や道具の選び方そのものが、
この“静かな涼”をあらわす工夫に満ちています。
たとえば、薄茶には、手のひらに涼しく触れる平茶碗を用います。
広くて浅いそのかたちは、風を呼び込み、
見た目にも涼やかな影を落としてくれます。
濃茶では、ガラスの茶入や茶碗を選ぶこともあります。
陽の光を透かしてきらめくその姿は、まるで水辺に差し込むひとすじの光のよう。
ただそこにあるだけで、空間にすがすがしさが生まれるのです。

そしてもうひとつ、夏のしつらえに欠かせないのが、
たっぷりと水を張った平水指(ひらみずさし)。
その静かな水面は、ただの飾りではありません。
お稽古では、釜の湯が熱くなりすぎたときに、
そこから一杓の水を汲み、湯に加える所作を学びます。
柄杓の竹が手のひらにあたり、
水がやわらかく湯面に落ちる音が、釜の底からふうっと返るとき。
その一瞬に、季節の気配や場の呼吸、そして
**「ちょうどよさ」**を見極める感性が現れます。
——熱すぎず、冷たすぎず、ちょうどよく。
その一杓の中には、
季節と調和するための知恵が込められています。

この感覚は、茶の湯の外にも生きてきます。
たとえば、朝のうちに窓を開けて風を通したり、
ガラスの器に夏の果物を盛ったり、
日陰に椅子を置いて、静かに本を開いたり。
どれも大げさなことではないけれど、
やりすぎず、足りなさも受け入れて、心地よく整える工夫です。
そしてこの「ちょうどよさ」は、人との関係にもあてはまります。
暑さで気持ちが揺れがちな盛夏、
つい言葉が強くなってしまいそうなときにも、
水指から釜へ注ぐ一杓の水のように、
やさしさと間を添えて語りかけることで、
関係も自然と和らいでいくのです。
朱雀軒では、ただ所作を学ぶのではなく、
こうした茶の湯に宿る季節の智慧や、暮らしに通じる美意識を、
ひとつずつ、丁寧に伝える場でありたいと思っています。
どうぞこの盛夏、
目に、手に、そして茶の中に宿る涼を見つけに、
ZENLABの茶道教室「朱雀軒」へ、どうぞお気軽にお立ち寄りください。